【第三章】片山の家づくりストーリー

前回までのあらすじ

第一章

第一章は、「片山の家」家族四人が住んだ24坪のわが家の家づくりストーリーのはじまり。

夢ノートにあるマイホームの夢の発見、そして夢実現、夢の家誕生!
玄関・和室・リビングダイニングの紹介、
家庭円満となるテレビの置き場所の秘訣、
そしてキッチンの紹介をさせていただきました。

第一章をまだお読みいただけていない場合は、下記よりご覧ください。

第二章

第二章は、母と娘の満足のいく家具物語秘話、
子どもに「おかえりなさい」と言ってあげられる在宅ワークについて、
玄関ホールに手洗いスペース。

二階のホールはお部屋のひとつ!

カーペットでプライベートと仕事の境目を、
そして、鏡で空間スペースの拡張演出!

年齢と共に小さくできる子ども部屋の間取り、そして寝室のお話について語らせていただきました。

第二章をまだお読みいただけていない方は、下記ボタンよりお読みください。

そして、今回は最終回。

100年持つわが家について紹介させていただきます。

100年もつ我が家

主人は大手建設会社のサラリーマンです。

自分の事はあまり語らず、口数少ない、
やさしい人ですが、亡き祖父のことだけは結婚前から、
いつも熱い口調でたくさんのことを語ってくれました。

祖父は明治生まれなのに、スキーが得意だったり、
青年団長をしたり、いつもかかとを上げてつま先で、
はつらつと風をきって歩いていたそうです。
厳しかったけれど、大好きな尊敬するおじいちゃんだった・・・と。

祖父は、建設大臣賞・黄綬褒章など、
たくさんの賞をもらった堂宮大工の棟梁でした。

たくさんの神社やお寺が今も残っています。

そんな祖父の姿を見て育った義父もまた、その伝統を受け継いで、
さらに次の時代につなごうとされ、今に至っています。

そんな義父が「孫のために百年持つ家を建てる!」
と宣言してくれました。

それが形になったのが わが家です。

技へのこだわり、家への思いは相当なものです。

プレカットの全盛期にも、床材から梁まで、
大工さんに一本ずつ削(きざ)ませて、
人の‟氣„を入れて家を建てるのだと頑張っておられます。

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大工さんは ほとんど終身現役です。

自然の家はまっすぐなようでも、必ず曲がっている。
日の当たる方は丸く幅も広い!
そのゆがみ、反りを見極めて、一本一本墨付けをされるのです。

「反ってほしい方に木を使ってやらないと、完成したころにむくってくるんだ」

そう語り、受け継ぎ、家を作られるのです。

材料を吟味し、材木一本一本までに愛情を注ぐ。

そんな技と伝統の建築で、この家は建ったのです。

ずっと守り伝えてほしい京都の伝統「上棟儀式」

1999年11月17日、我が家で上棟式が行われました。


昔ながらの法被姿をした私(友見)の義父が一番てっぺんで
「京木遣り(きょうきやり)」を披露し、
集まった皆様が、感動して下さいました。


建築の儀式やお祭りは、目的や内容によって、
工事の無事や安全を祈る呪術的祭りを主にするものと、
仕事の区切りを主にするものの、二つの種類に分けられるといいますが、
上棟儀式は前者に含まれます。

呪術的なお祭りの起源は、古代の伊勢神宮造営のころともいわれ、
平安京以降も、営々と受け継がれてきた伝統文化です。


1, 棟木(むなぎ)を「ゆりもち音頭」で、職人衆が現場まで運び込みます。
「たぐり温度に合わせて、ゆっくりと、施主や職人衆で、棟まで引き上げます。


2, 各棟束の所に、カケヤ(木づち)を持った職人が、義父を先頭に、
棟木に棟束のほぞを少しのぞかせてスタンバイします。


3, 義父が一番てっぺんで、振幣(ふりへい)にて
「千材棟(せんざいとう)」(千年永く、棟がありますようにの願いを込める)
の大きな掛け声に続いて、棟束にいる職人が「オー」の掛け声に続き三回、
カケヤで棟木を打ちます。その後も、義父の
「万才棟!(まんざいとう)」(万年永く、棟がありますようにの願いを込める)
「永々棟!(えいえいとう)」(永遠に棟がありますようにの願いを込める)
の掛け声の度に「オー!」とかけやで三回ずつ打ち込むと、棟木は完全に納まります。


4, 義父が祝詞(のりと)の準備のため、一階の祭壇の方へ行く間に、
音頭取りがお祝いの「金鶏鳥(きんけいちょう)」を唄います。


5, それが終わると、施主とともにみなさんに、
祭壇の前に集まっていただき、義父が祝詞をあげます。
建物の四隅に、御神酒等でお清めさせていただき、
最後に施主及び職人衆が祭壇にお参りします。


6, 祭壇にお供えのお酒などを、すべての方にいただいてもらう
「直会(なおらかい)」を行い、これで、上棟儀式が終了します。

伝統的な大工さんの技は、命の長い建物をいかに造るか、
また既にできあがっている建物を
いかに上手く使って延命させるのかを、追及するものでした。

千年の都、京都でその技は磨き抜かれ、代々受け継がれてきたのです。

ところが、建築の仕事も、第二次世界大戦後、復興を急ぐあまり、
工業化や経済性の追求に主眼が置かれてきたために、
長く受け継がれてきた伝統的な儀式が途絶えそうになっていました。


このような日本古来の建築儀式を後世に受け継ぐために、
昭和43年には「番匠保存会(ばんしょうほぞんかい)」
が発足して、活躍されています。
昭和53年には、京都無形民俗文化財の指定も受けているのです。


伝統儀式や、木遣り唄を守り、次の時代にも伝えていくことは、
建築に携わる人々の誇りでもあるのです。


わが家のために、このように祈りをこめた儀式が行われたことは、心に残ることでした。

京木遣りより
ゆりもち音頭

さきづなぁえー よーい
よーんよーい よぉいやねー
アレさぁあさらば
コラセイ
びぎやかにようゆるゑー
ハーエンヤァエンヤ
あれはさの エヤコーの
さあヤレコノ
じょさいはござらぬえー
じょさいのないのは見ておいた
さっさのせ
さっささりとな良い声を掛けやんせ
(三行目にもどる)

祝唄より
金鶏鳥(きんけいちょう)

今日建つ此(こ)の家(や)の屋(や)の
棟(むね)に名鳥(めいちょう)が
一羽飛び来(きた)り
その名を如何(いか)にと 尋ねれば
我れもろこしに
名も高ききんけい鳥とは答えたり
あまり床しき家建故(やだちゆえ)、
暫時(ざんじ)の間羽(あいだは)を休め
数多(あまた)の宝を
御当家(ごとうけ)に運び来るとはそれはお目出度(めでた)や
(以下ハヤシ言葉)

番匠保存会
「番匠儀式の研究 伝統保存のあゆみ二」より
(旧漢字は新字にしました)

お家をづくりは全て家族全員で!

お家づくりは全て家族全員でというのには、理由があります。

例えばこんなエピソードがあります。

うっかり無垢のフローリングに水をこぼした息子が
大慌てで雑巾を持ってきて言います。
「木はお水が苦手!!」
わたしはにんまり喜んでいます。

わたしたちはペンキ塗りを家族みんなで行いました。
「赤ちゃんが舐めても大丈夫」
というドイツ製の自然塗料です。
変な匂いもなく、とても安全、安心です。

当時、大輔は三歳と四ヵ月。
それでも、家に対する愛情を感じたようです。

手間ひまかけて、愛情をそそぐ・・・、

お家づくりを設計段階から家族全員参加していると、たとえ子どもでも自分ごとになり
家族みんなが家を大事にしようと思うようになります。

わたしはこのことから、お客様にも何かの形で、
家をつくるときから参画していただくように、ご提案しています。

ペンキ塗りひとつでも、みんなですると、とても楽しいものです。

ー 完 ー

暮らし株式会社では、このストーリーでご紹介したように家族一人一人の夢・希望・望みを間取りに反映し
お客様のお家づくりを、サポートしています。

あなたと家族の理想的な家づくりについてお気軽にご相談ください。