結婚って、なんなんだろう? 〜価値観が違うからこそ始まる磨き合い〜
こんにちは。
片山友見です。
前回のブログでは、私たちの結婚30周年を迎えた記念日について、
そして子どもたちからのサプライズと、心温まる一日についてお話ししました。
娘もInstagramで、自分の感じたことを、2つの動画とともに投稿してくれていました。
娘のInstagramは💁♀️ こちら (メッセージに、またまた😭の私でした)
娘の投稿を見た人からも沢山のメッセージが届いたそうです。
多かったのは、自分の家族にも伝えてなかった。
気づかせてくれてありがとう。
そんなお礼のメッセージだそうです。
なかなか、日常生活を過ごす中では、距離が近いほど見えない。
気が付かないことはたくさんありますね。
今日は、その記念日をきっかけにあらためて感じたこと──
「結婚って、いったい何なんだろう?」という問いについて、少しだけ深く掘り下げてみたいと思います。
結婚って、不思議ですよね。
もともとまったくの他人同士だったふたりが、
まるで親戚のように、いえ、それ以上に深く関わりながら生きていくのですから。
価値観も、育った環境も違うふたりが、
一つ屋根の下で生活を共にするのですから、
ぶつかり合うことがあって当たり前です。
実際、私たち夫婦にも何度も、何度も
「もう無理かもしれない」と感じる時期がありました。
いわゆる“離婚の危機”も、一度や二度ではありません。
そんなとき、私が出会ったのが
小林正観さんの言葉でした。
結婚とは、幼児性を削り落とすために存在します。
他人に言われたら我慢できることを、
妻や夫に言われて怒るのは、甘え=幼児性です。
この一文に、私ははっとさせられました。
「そうか、夫婦だからこそ、無意識に甘えていたのかもしれない」と。
そして、さらに続く言葉があります。

長年の研究の結果で分かったことは、もっとも価値観の遠い者同士が結婚するようです。
結婚とは、魂を磨くための“砥石(といし)”を手に入れること。
お互いを削り合いながら、丸くなって大人になっていくのです。
この言葉が、私の中で“結婚”の意味をガラリと変えてくれました。
「価値観が合う人と結婚するのが理想」と思っていたけれど、
実は「価値観が違うからこそ、出会うべき相手」だったのかもしれない。
そう考えると、これまでのすれ違いやぶつかり合いも、
全部、自分を磨くための“必要な出来事”だったように思えてきたのです。
たしかに結婚は、簡単なものではありません。
夫婦だけではうまくいっても、親が関わり、子どもが成長し、親戚との関係が生まれることで、夫婦関係にもその度に大きな波が訪れます。
でも、相手との違いを知り、受け入れ、
それでも「一緒にいたい」と思えるからこそ、夫婦は続いていくのだと思います。
結婚は、ただの“幸せのゴール”ではなく、
魂を磨くための旅のスタートなのかもしれませんね。
あなたにとっての“砥石”は、誰ですか?
ふと立ち止まって、そんな存在に感謝を伝えてみるのもいいかもしれませんね。
次回は、この考えをさらに深めて、
夫婦だけでなく、「家族」や「人間関係」そのものが、
どう“砥石”となって私たちを磨いてくれるのか──
そんなテーマでお話ししたいと思います。